もしもこの世から「残業」が完全になくなったら
3年ぐらい前に読んだ本を思い出した。
1980−90年代の話ですが、残業について、
「時間外・休日労働の弾力的運用が我が国の労使慣行の下で雇用維持の機能をはたしている」(1985年労働基準法研究会報告)とか、「我が国の労働慣行の実情に合うような上限設定が可能かどうか定かでない」(1992年同報告)と、雇用維持の為のコストとして恒常的な長時間労働を是認する考え方が主流でした。
需要の低下に応じて、生産水準を下げなくてはならなくなっても、バッファがあるから解雇せずに大丈夫でしょ、という。。。
まぁ、
ところが、その後、労働法政策が内部労働市場の雇用維持から外部労働市場における移動促進に徐々にシフトしていったにもかかわらず、この長時間労働哲学には疑問が呈されないまま21世紀に至っているのです。
と著者は問題視しているわけだけど。
話変わって、最近友人に聞いたんだが、
人員削除の為、希望退職を募り始めると、条件のいい転職先があるような人・・・比較的優秀な人から手を上げ始めるそうな。
辞めて欲しくない人が辞めた為に、そこの部署にまた人を入れるといった、本末転倒な事象も置きているらしい。
当り前といえば当り前か。
でも「比較的優秀じゃない人間」が残り続けるとしたら、企業としてはジリ貧ですな。
そういえばウチの会社でも以前死ぬ程長時間労働している部署があったなぁ。
しかも儲かってない。一人当たりの売上も悪かったし。
「利益」を見せられないから、「やる気」を見せるしかない、長時間働くしかない・・・、という悪い流れがずってあって。
儲かってないから止めちまえよ、と傍から見てて思っていたけど。
結局、何人かチームから抜けて、「儲からない仕事」から手を引いて、それで長時間労働が落ち着いた。
でもチームとしての「利益」はあまり変わってない。
そもそも人が余っていたのかな、と。
幾ら社内に人が余っていたとしても無理矢理仕事を当てたとしても、それが「将来性もない」「利益もない」ものであれば、
長く続かないよね・・・と思いましたとさ。